同時通訳の舞台裏 ― 国際会議を支える通訳・翻訳プロジェクトマネージャー
国際会議の会場に入ると、受付には通訳用のレシーバーが並び、通訳者はすでにスタンバイ。会場の片隅では、技術スタッフが機材の最終チェックをしています。参加者にとっては、ごく当たり前の光景かもしれません。
けれど、その「当たり前」をつくるための準備は、何週間も前から始まっています。通訳の仕事は、イベント当日に始まるものではありません。見積もりが正式に承認されたときから、すでに本番へのカウントダウンは始まっています。
クライアント、通訳者、音響スタッフ、会場担当者との調整。案件によっては、映像チームやIT担当者、登壇者本人とのやり取りも必要になります。その中心に立ち、通訳・翻訳に関わるさまざまな関係者をつないでいくのが、通訳・翻訳プロジェクトマネージャーです。
準備を進めていると、ひとつ確認が取れたところで、そこからまた二つ新しい確認事項が出てくる。そんなことも珍しくありません。
同時通訳ブースにするか、簡易通訳機材にするか
最初に検討することのひとつが、どのような通訳設備を使うかです。同時通訳ブースを設置するのか、それとも送信機とレシーバーを使った簡易通訳システムにするのか。どちらも参加者が自分の言語で内容を理解するための設備ですが、実際の準備や運用は大きく異なります。
同時通訳ブースを設置するには、まず会場内に十分なスペースが必要です。電源や音声回線も確保しなければなりません。イベントによっては前日に設営することもあり、会場に入るほかの技術業者との緊密な連携も欠かせません。
一方、簡易通訳システムなら、数個のケースに機材をまとめて持ち込むことができ、短時間で設置できます。一見すると、同時通訳ブースよりずっと扱いやすそうです。ところが、実際にはこちらもそう簡単ではありません。
バッテリーはすべて充電されているか。使用する周波数に問題はないか。レシーバーやイヤホンはきちんと作動するか。本番前に、一台ずつチェックしていきます。
機材の運搬も考えておかなければなりません。レシーバーが数十台にもなれば、ケースはかなりの重さになります。事前に会場へ配送するのか。現地で保管してもらえるのか。機材を安全に置いておける場所はあるのか。そこで充電もできるのか。参加者にはまず見えない部分ですが、こうした細かなことまで、会場の扉が開くずっと前に決めておく必要があります。
通訳の質を左右するのは、まず「音」
そして、参加者からはほとんど見えないもうひとつの重要な仕事が、音響の確認です。通訳者にとって、音声はいわば仕事の「原材料」。どれほど経験豊富で語学力の高い通訳者でも、話者の声がよく聞こえなければ、十分な力を発揮することはできません。
だからこそ事前準備では、登壇者の音声がどのように通訳者まで届くのかを確認します。会場の音響設備に問題はないか。登壇者は全員マイクを使うのか。通訳者用のモニターヘッドホンや返し音声は必要か。XLR出力は利用できるのか。会場のAVチームから必要な音声回線を提供してもらえるのか。
普段なら些細に思えることでも、本番では大きな問題につながることがあります。通訳・翻訳プロジェクトマネージャーにとって、こうした技術面の確認も大切な仕事のひとつです。
いくつもの技術チームが同時に動く舞台裏
規模の大きなイベントになると、会場では複数の技術チームが同時に動きます。AVチームがスクリーンを設置し、映像チームは撮影や収録の準備を進め、音響スタッフはマイクやスピーカーを調整。その横で、通訳チームもブースや機材を設置していきます。
目指すところはみんな同じ。イベントを無事に成功させることです。とはいえ、それぞれのチームにはそれぞれの段取りや技術上の制約があります。
ステージを組んでいる最中に通訳ブースを設置できるのか。搬入口や必要なアクセスは確保されているのか。参加者が入場する前にケーブルを通しておけるのか。一つひとつは小さなことです。
でも実際には、こうした小さな調整の積み重ねが、イベント全体のスムーズな運営につながっています。そして、これらを何週間も前から確認し、関係する技術業者や会場と調整していくのも、通訳・翻訳プロジェクトマネージャーの仕事です。
ハイブリッドイベントでは、通訳も会場とオンラインの両方へ
ここ数年で、もうひとつ考えなければならないことが増えました。オンラインで参加する人たちです。
イベントそのものは会場で開催されていても、参加者の一部が別の国、時には別の大陸からオンラインで参加することも、今では珍しくありません。このように、会場とオンラインの両方に通訳を提供するのが、いわゆるハイブリッド通訳です。
この場合、通訳は会場にいる参加者だけでなく、オンラインで参加している人にもきちんと届かなければなりません。そこで、新たな確認事項が出てきます。
使用するオンライン会議システムは同時通訳に対応しているか。Zoomを使うなら、通訳機能(Language Interpretation)は有効になっているか。通訳者は正しい言語チャンネルにアクセスできるか。そして何より、会場のWi-Fiはイベントの最初から最後まで、安定した音声品質を保てるだけの性能があるのか。
音声が途切れてしまえば、オンライン参加者は通訳を聞くことができません。ハイブリッドイベントでは、会場内の音響や通訳機材だけでなく、オンライン側の環境まで含めて考える必要があります。
そして迎える、本番当日
何週間もかけて準備してきたものが、いよいよ一斉に動き始めます。参加者が到着し、登壇者が準備を始め、通訳者も所定の位置につく。そして、最初のスピーチが始まります。
参加者から見れば、すべてが順調に進んでいるように見えるでしょう。その一方で、舞台裏では通訳・翻訳プロジェクトマネージャーが常に状況に目を配っています。
レシーバーが突然動かなくなった。参加者が自分の言語のチャンネルを見つけられない。登壇者が直前になって別のマイクを使うことになった。開始数分前になって、ようやくプレゼンテーション資料が届いた。オンライン参加者から「通訳が聞こえません」と連絡が入った。
どれも、一つだけなら大きなトラブルではありません。けれど、いくつも重なると、イベントの流れを崩したり、参加者にストレスを感じさせたりする原因になります。
だからこそ、中規模以上のイベントでは、通訳を担当するプロジェクトマネージャーが現場にいることが大きな意味を持ちます。
通訳・翻訳プロジェクトマネージャーは、何をしているのか
イベント当日、主催者にはやるべきことが山ほどあります。参加者やゲストへの対応、登壇者との調整、パートナーとのやり取り、プログラムの進行、会場全体の運営。そんな中で、通訳のことだけをずっと気にしているわけにはいきません。
だから、その部分は通訳・翻訳プロジェクトマネージャーが引き受けます。通訳者は問題なく音声を聞けているか。レシーバーは正常に動いているか。参加者は正しい言語チャンネルを選べているか。オンライン参加者にも通訳が届いているか。何かあれば、その場で原因を探して対応します。
通訳・翻訳プロジェクトマネージャーの仕事というと、「案件に合った通訳者を手配する人」というイメージを持たれるかもしれません。もちろん、それも大切な仕事です。しかし実際には、通訳者の手配だけでなく、イベントの規模や形式、使用言語、会場設備、必要な機材、オンライン参加の有無などを確認し、その案件に最適な通訳体制を組み立てていきます。
翻訳・通訳サービスを扱う会社にとって、プロジェクトマネージャーはクライアントと通訳者、技術スタッフ、会場担当者をつなぐ重要な存在です。それぞれが必要とする情報を適切なタイミングで共有し、本番では何か起きたときにすぐ対応できるよう全体を見守ります。こうした準備と調整を含めて、ひとつの通訳プロジェクトが成り立っています。
何も起きなかった。それが、いちばんの成功かもしれない
この仕事には、少し不思議なところがあります。本当にうまくいったときほど、誰にも気づかれないのです。
参加者は、レシーバーを受け取って自分の言語を選び、通訳を聞きながら会議に参加する。会議が終われば、「スムーズなイベントだった」。そんな印象を持って帰っていく。それで十分です。
でも、その何気ない体験の裏には、何十時間もの準備があります。
一台ずつチェックしたレシーバー。充電しておいたバッテリー。事前に確認した周波数。会場に引かれたケーブル。設定された音声チャンネル。何度もやり取りを重ねた会場や技術スタッフとの調整。そして、通訳者が届ける一つひとつの言葉。
そのすべての裏側に、準備し、先回りして考え、関係する人たちをつないできた時間があります。
通訳プロジェクトの本当の成功とは、もしかすると、その仕事が最後まで「見えない」ことなのかもしれません。誰も舞台裏を意識することなく、イベントが自然に終わる。それは、見えないところですべてがきちんと準備され、予定どおりに機能していたということなのです。
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